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ekoちゃんのyuragi style  › 2014年11月22日

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2014年11月22日

障がい者の子を持つ親の愛

全力で駆け抜けてきた15年間のセラピスト生活の中で
今の私の考え方や行動に影響を与える出来事って振り
返ると沢山あります。

なぜ、セラピーというサービス業からものづくりにチャレンジ
したのかは先日お伝えした、開業当初に取り扱ったダイエッ
ト食品の苦い経験から

そして、統合医療との連携や、障がい者雇用に熱くなるのは3人の
女性との出会いの影響が大きいのです。

残念ながら、お二人はもう現世で再会することはできない所
に行かれました。

昨年末から蒸留チームのスタッフとして受け入れた20代のT君、彼は
アスペルガーという個性があります。

担当職員は「初の職場体験なので続くかどうか・・・」

早速実生ゆずの分別加工に入ったが、ずっと俯き、
返事もか細い声不安なスタートでした。




早速実生ゆずの分別加工に入ったが、ずっと俯き、
返事もか細い声で不安なスタートでした。

段々環境にも慣れて、自分の言葉で色々話してくれるようになり、

ある時、お母さんが脳腫瘍で入院していること、お父さんが看病の為に
仕事を辞めたこと、ご飯は自分で作っていることなど打ち明けてくれた
のです。

今でも鮮明に場面を覚えている彼の言葉

「僕は母の子供で良かったです。
母は小学校で僕がいじめられて自殺しようとした時も抱きかかえて
守ってくれました。小学校、中学、高校とずっと孤独で植物の本を読
んでいる時が一番幸せだったんです。勉強はできたので地方の大学
に行き、初めて母と離れて生活をしました。
大学に入ってから先生に勧められて検査した結果、僕に障がいが
あるとわかった時は、何度もごめんね、ごめんねって誤り、大学を
辞めて大阪に戻ったのですが、その後も、ずっと僕のことを変わらず
愛してくれたんです。

そんな母が病気だとわかった時はショックでした。
母が心配しないように僕もちゃんと仕事に就かなくては!って思った
んです」

「お父さんとはどんな話するの?」私の質問に表情は一変し

「父とは何年も話していません!あんなの父親じゃありません!」
キッパリと言い切る態度に父息子の複雑な関係を感じました。

そんな優しくて彼にとってかけがえのないお母さんが他界・・・

お通夜に向かう道中、私はひとつ覚悟を決めました。

私も一人娘の母親です。
もし、自分がこうなったら?いろんな思いが駆け巡りました。

お通夜で初めてお会いしたT君のお父さんとお爺ちゃん

お爺ちゃんは、常日頃の父息子間の状況をよく御存じで、今後、二人
で生活をしていくことに非常に心配なご様子

私は、意を決してT君に声をかけ、棺の中のお母さんの横に連れて行きました

「さぁ、お母さんの前で約束しよっか!これからはお父さんと力を合せて生き
ていくからお母さん、心配せんといてなって誓おう!」

「絶対、イヤ!無理です!!!」即答のT君

「何言ってんの!これは社長命令です!誓いなさい!」
日頃から私に従順な彼の性格を利用しておせっかいかとは思いましたが
思いついた方法はこれしかなかった!

「・・・困ったなぁ・・・」T君がモジモジしていると、お父さんが重たい口を開き
語った言葉に胸が熱くなりました。

「この子はねぇ・・・私達結婚して10年以上子供ができなくて、不妊治療だとか
色々試みて、あきらめた時にやっと授かったんですよ!待ち望んで生まれて
きてくれた子なんです」

父親から聞かされた自分への愛情の気持ち

T君の表情が見る見る柔らかくなり、気のせいか棺の中のお母さんの顔も微笑
んでいるように見えました。

「ほら、父は僕の事を嫌っているとか言ってたけど、こんなに大切に愛してくれ
てるやんか!今度はT君がちゃんとお父さんと仲良く暮らすってお母さんと約束
して、安心してもらう番やね!」って、T君の右手と、お父さんの右手を繋ぐと、

「わかりました!約束します!もう、社長にはかなわないや!」って
照れくさそうに握手・・・

見届けてセレモニーホールを後にしたのですが、数日後出勤してきたT君が
私の横にやってきて
「あれから父と食事もするようになり、やっと家族らしくなりました。
有難うございました」って丁寧に報告に来てくれたのです。

安堵と同時に、やはり障がい者と判断された息子を残して去らなくては行けない
お母さんの気持ちを思うと、もっと日頃の予防や、いざ!という時に慌てず委ねな
い病気との向き合い方を、もっと早く出会えてたら何かお手伝いできて、状況は
違ってたんじゃないか?など考えさせられました。

きっと、学校の教師で働く一方、我が子の事で悩み、苦しんだお母さんはストレス
で心身共にいっぱい、いっぱいだったように感じてなりません。

彼は、心がキレイで人への無償の優しさと誠実さは、ピカイチ!
母のいない淋しさを私達に感じさせないように、今日も元気に仕事してくれてましたヨ!

どうか、空の上から見守ってあげてくださいネ!

振り返ってみると・・・そもそも、
障がい者雇用で社会貢献とか、そんな高い志で最初から取り組んだわけ
ではなく、子供を思う母の気持ちに寄り添いたくて取り組んだことが今の形
になっただけなんだと感じています。








  

Posted by yuragist at 14:00Comments(0)